なんのためにもならない話

タイトル通りです。

カトマンズ〜そして脱線

 

スワヤンブナートを参詣したのは早朝で、一度宿に戻ります。 

朝出てきた時は静かだったタミルも、段々とお店を開ける準備が進み、賑やかになってきているのがわかります。

 

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タメル周辺の様子

この日はカトマンズを歩きます。

 

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タメル周辺の路地を入れば、仏教のストゥーパがある。この時はまだ震災の被害を各地で目にした。

タミル地区はかつてビートルズが宿泊したゲストハウスがあり、またトレッキングに訪れる外国人観光客の数も多く、通りにはトレッキングウェアやザックを扱う店が多く、洋食を食べることができる飲食店も多く並んでおります。これはタミルに滞在する多くの観光客が欧米から来ているとも言えます。ですが通りには中国人も韓国人もいます。なので欧米からの観光客が洋食を滞在中も食べたいと思う人が多いとも言えるのではないかと思います、偏見ですが。

 

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タメルの様子

現地ではどんな料理があり、食生活があるのだろうか。知りたい、食べてみたい、試したみたい。そんな食いしん坊な性格ですので、こんなところにある日本食とはどんなものなのだろうかと思うことがあっても、わざわざ自分の食の慣習を旅をしている時にまで持ち込みたくないという思いがあります。

なので、洋食のブレックファストを食べる欧米からの観光客を見ると、純粋に疑問に思ったり、価値観の違いを強く感じる訳ですが、かと言ってどちらが優れているなんてことはなく、優劣がないので各々の旅があることをこの光景を見るたびに感じています。

私の価値観から見れば、せっかくの旅中の一食なのにもったいないなぁと思ってしまいますが、彼らにすればあまり変わらないこの一食から楽しい旅の1日が始まっているのかもしれません。

 

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かくいう私も、こうした場所で食べ慣れたものを口にできるという安心感はあります

一水四見という言葉があります。"水"と単に言っても、その水の中に暮らす魚にとっての水、私にとっての水、科学的に見た水と立場や視点が変われば同じ水にも様々な見解があるという意味です。十人十色のように、旅人各人には各人の旅が展開しているのだと、こういう旅人の集まるタミルのような場所は強く感じさせてくれます。

 

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日中のタメル

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タメルからダルバール広場への道



 

 タイトルに脱線と付けたので、少し話を脱線しようと思います。

 

この食という話で。

以前講演を聞きに行ったとあるライターさんの話を思い出します。

その方はタイの方とご結婚され、タイについての書籍を著したり、講演されたりしています。

その方の話で、最近のタイの変化について触れておりました。

 

バンコクの急速な都市化とか、そんな目に見えた話ではなく、以前より若者が辛い料理を食べなくなったという話です。古くからのタイ料理は"酸っぱい・辛い"だったけど、最近人気なのはマイルドなものだという話でした。

  思えば私の友人も、親世代は辛いものが大好きだけど、友人は唐辛子少なめの料理を注文し、同世代の友達も辛いのが苦手な人が多く、最近は唐辛子の量を調整してくれるお店が多いとのことでした。

 

そしてもう一点は、多少田舎でも日本食が食べられるということが変化だと言っておりました。

 

外国旅行の際も、知らないものはあまり食べようとしないタイ人が以前は多かったとのことで、そうした国民性の中で、多少田舎でも日本食のお店があるということは、そこに需要があるということです。

それはつまり、日本食がタイに於いて特別変わった料理ではなく、数ある口にする物の選択肢に"日本食"が加わったと言えましょう。

また、そうした国際化、グローバル化の中で異国の料理や、異国の文化を知りたい・試してみたいという世代が増えてきたとも言えます。

 

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ネパール料理


 

私の暮らす茨城のとある町に、通り沿いに独特な店構えをしたインド料理屋がありました。

外から見るととても目に付く店構えをしていました。気になっていたので、とうとう訪れてみたのですが、中にはたくさんお客さんがいて驚いたことがあります。(今は引っ越し、改装されその店構えを見ることはできません)

 

インド料理屋は確かにもう広く認知されていたとは言え、あの独特な店構えというハードルを超えて来るお客さんの数の多さは、茨城という田舎にあっても、「どんなお店なんだろう、どんな味なんだろう」という思いから試してみようとする人の多さにも関係があると思います。

 

そんな国民性ゆえに、海外旅行中は現地の食事。現地の食事が続くからこそ、カバンに忍び込ませた日本のカップ麺、味噌汁を飲んで改めて美味しいとホッとした経験がある方も多いのではないかと思います。

 

 新しいことにチャレンジする。新しいことを知りたい。

そういった好奇心が旺盛なのは、もしかしたら日本人の旅行者の特性なのかもしれません。

 

100人いれば100通りの旅があるとは言え、そう思うと、実際はそうしたチャレンジしたいって感覚は少数派なのかもしれません。

何度も言いますが、個体差であり、優劣もない話です。

 

ただ、それだけ違った視点で旅をしているのだから、

例えば料理を食べる時、世界遺産を訪れた時、

その料理、場所に出会うまでの過程も違えば、

感じることも違うでしょうし、

その人の人生に与える影響も違うでしょう。

 

 

そう思うと、"どのように感じたか"というのはその時に表に現れた現象に過ぎず、

それまでどのように生きてきたか(過去)→どのように感じたか(今、ここ)→どのようにその経験を活かす生き方をするのか(未来)

と、全てがリンクしていると言えます。

 

 

あぁ一水四見なんだなぁと思う、ちょっと仏教的なお話でした。

 

次回はちゃんと旅の話をしようと思います。

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タメル周辺の様子

 

ネパールを旅して。仏教四大聖地を行く

仏教では、お釈迦様にまつわる4つの聖地があります。

それぞれお釈迦様の仏生(誕生)、成道(悟り)、最初の説法、涅槃の地を、四大聖地と呼びます。

 

曹洞宗では食事の際、はじめにお釈迦様の偉業を讃え、食器を準備する際に

仏生迦毘羅(カピラバストゥ)

成道摩掲陀(マガダ国)

説法波羅奈(ハラナ国)

入滅拘縮羅(クシナガラ)

と、お唱えします。

これは先に述べた四つの偉業とその地名です。

 

このうち、成道、説法、入滅はそれぞれインドにありますが、誕生された地カピラバストゥの”ルンビニ”だけはネパールにあります。インド国境のほど近くにあるこの街は、ネパールとはいえ、首都カトマンズからはだいぶ離れております。

 

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今回からは、そんなネパールを旅したことを記そうと思います。

 

ルンビニというと、このブログをご覧の方の中にはタイの首都バンコクある、ルンビニ公園を思う人もおられるかもしれません。

これはタイという国が仏教の影響を強く受けていて、お釈迦様生誕の地から冠したものです。

 

 

 

 では、そのルンビニのあるネパールとはどんな国なのでしょうか。

 

 

 

 私は僧侶の友人と飛行機を乗り継ぎ、ネパールを目指しました。飛行機が着陸に向け高度を下げると、窓の外には世界の屋根ヒマラヤ山脈が見えてきます。下の方には建物が見えてきます。赤いレンガを積んでできた建物が多く、街並みは夕陽に照らされより赤く映し出されておりました。

 

首都カトマンズにある空港トリブバン国際空港に降り立つと、街灯が暗く、少し埃っぽいことを感じます。

 

空港到着時に申請するアライバルビザを発券機にて取得し、入国します。

 

目指したのは、タミル地区です。タミル地区には多くの旅行者が集い、宿やレストランが密集しております。かつて多くのヒッピーと呼ばれる人たちが多くいたこの地区には、ビートルズが宿泊した宿もあります。

 

私たちが宿泊したのはその中の一つの安宿で、ホテル内にバーがあり、大音量の音楽が夜遅い時間まで鳴り響いておりました。重低音と共に私たちの部屋の窓が振動で揺れ、さすがにその音量には困り早速にカトマンズの洗礼を受けました。

 

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早朝のタミル地区

翌朝にカトマンズで最古の仏教寺院スワヤンブナートを訪れました。

ここは猿が境内に多くいる寺院で、参道となる階段を登った先に寺院があります。

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スワヤンブナートの参道

ここネパールでは、多くの国民がヒンドゥー教徒で、仏教徒自体はチベット系の人たちを中心に、その数自体は多くありません。

しかし、ヒンドゥー教におけるお釈迦様というのは、ヒンドゥー教における1人の聖者とされているため、仏教徒に限らずスワヤンブナートには参詣者が訪れておりました。

 

また、山道には多くの猿がおり、供物や参詣者の持つ果物を狙っております。ハヌマーンと呼ばれる猿の神様がいることから、そうした猿に危害を加える人もありません。

 

これは、ヒンドゥーの文化圏に言えることですが、動物が神様の使いであったり、神様その者であるため人間が手を加えることがなく、そのために人間と動物との距離が非常に近いことが言えます。

 

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階段の先に見えるスワヤンブナート


 

参道を登った先にはブッダの目が入った仏塔があり、周りにはマニ車という中に経が治められた筒(その筒を回すと経を唱えたのと同じとするもの)があり、、日本でお参りする寺院とは全く異なる景色が広がっております。

 

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マニ車


異国情緒。

 

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朝日のスワヤンブナート。手前の影は猿。

朝日が昇るにつれ街並みがはっきりしてきました。しかし、日中は粉塵や埃ではっきり見えないとか。

トルコ行進曲。その4

トルコとはいえずっとイスタンブールにしかいなかった私たちの滞在。当時は海外旅行に不慣れであったことも理由としてあります。ですがこの時から、観光に奔走したく無いという思いがあり、それは現在まで続く旅のスタイルとなりました。

 

今回は、いくつか気になった街の風景をここに残しておこうと思います。

 

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ブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)の様子

 

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イスタンブール市内にはたくさんのモスクがあり、そこにはやはり日本では見慣れない景色が広がっています。

 

モスクへ入る際には外の水場で足を洗ってから入ります。

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偶像崇拝が禁止されているイスラム教では、礼拝の対象となる像はなく、モスク内にはメッカの方向を示す扉やまた美しい幾何学模様で彩られておりました。キリスト教の教会とも全く異なりながらも、思わずわぁーっと驚いてしまうのは、その幾何学模様や、荘厳な作りをした施設、そして天井から吊るされた多くのライトなどの圧倒的な非日常と言える宗教的な場がそこにあることでした。

 

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また、イスタンブールはアジアとヨーロッパの交差点です。その金角湾の美しさも言葉になりません。写真は金角湾から臨むガラタ塔です。ガラタ塔周辺は比較的治安も悪いことから、歩く際にはお気をつけください。

 

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金角湾にかかるガラタ橋。橋の下はレストラン街になっている。

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アジアとヨーロッパを繋ぐ橋

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ハイダルパシャ駅。アジア側にある。かつて、アジアからヨーロッパを目指した路線の終着駅。

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鉄道も走っているが、トルコを旅するならバスだと教わった。再訪するならバスで行きたい場所がいくつもあります。

 

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トルコではサッカーが非常に熱狂的です。2002年日韓ワールドカップでトルコ代表に日本代表は敗れました。その後日本代表選手がこの国で活躍をするなど、日本ともサッカーの因縁深き国です。また、この頃、トルコを代表するサッカーチーム「フェネルバフチェ」をヨーロッパの主要大会で過去最高成績に導いたのが、かつて日本でも活躍し、日本代表チームを率いたジーコでありました。私は茨城県民で、かつ熱狂的鹿島アントラーズサポーターです。声をかけられたトルコ人とサッカーの話題で盛り上がることもあり、特にジーコの話題で盛り上がった時には互いに写真を取り合うなど交流のきっかけにもなっておりました。

 


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イスタンブールの街並み

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金角湾の眺め

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ハンマームの入り口

トルコを含む中東諸国にはハンマームと呼ばれる伝統的な公衆浴場があります。腰巻きをしたまま入浴する、いわゆる蒸し風呂で、中には屈強な親父があかすりをしてくれます。

力強いアカスリと、オリーブの石鹸が心地よく、機会があれば是非もう一度試してみたいと思うものです。この時入ったお店は観光客向けであり、あかすりを担当してくれた屈強な親父さんはウズベキスタン出身の方でした。

日本にいて当時ウズベク出身の方と会ったことがありませんでしたので、陸続き、言語が近い人たちの移動はやはり日本のそれとは全く違うのだなと感動しました。

 

ここで一つ触れておかなくてはならないのは、"トルコ風呂"の存在です。このハンマームはあかすり師が浴場内であかすりをしてくれるわけですが、イスラム教の国において男女がとりわけこうした場所で出会うことは絶対にありません。むしろ、厳格に区別されております。

この浴場内でのあかすり師の存在と、宮廷に置かれたハレムの存在が混同して日本に伝わり、日本では一時期トルコ風呂の名を冠して性風俗店が営まれました。

こうしたことにトルコ側から反発があり、名称を改めたという歴史があります。

 

私は旅をするまで知りませんでしたが、帰国してこのハンマームの体験を語ると、上の世代の方達にそのことを教えていただいたので、ここでも誤解の無いよう記しておきました。

 

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そんなこんなで、続いて来ました"トルコ行進曲"はひとまず終了となります。

またいつかゆっくり旅をしたいと思いながら、震災やISISの問題などでここまでその思いは叶わずにおります。今こうしてCOVID-19の問題もありますが、再訪できる日が来ることを今は切に願っております。

 

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トルコ行進曲。その3

 今回は少し毛色を変えてトルコの食文化に触れてみたいと思います。

 

トルコ料理世界三大料理なんて言われておりますが、結論から言えば私はトルコ料理は苦手でした。もちろん美味しいと感じましたが、滞在3日目を過ぎたあたりから独特な香辛料を体が受け付けなくなってしまい、食欲が減退しました。

 

本当に美味しい料理に出会わなかったからだという意見もあるかもしれません。それもごもっともな意見だと思います。美味しい料理に出会うかどうかもご縁であり、もっと雑な言い方をすれば運任せなのであります。

 

そうしたことにならないために、旅行誌があり、旅の情報誌があります。今では口コミ情報サイトを頼りにお店選びをされる方も多いと思います。

ですが、私は特別攻めたお店選びをするわけではありませんが、守りに入って無難に終わることもあまり好みません。運任せ、勘まかせなのですが、この頃に比べ最近はあまり口に合わない料理に出会うことは減ってきました。

それは勘が鋭くなったのか、舌が鈍ったのか、それとも現地に馴染むのが得意になったのかは分かりせん。

 

そういうわけで、この投稿ではその一部を紹介したいと思います。

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まずはトルコといえばケバブでしょう。日本でもお馴染みですね。

写真はシシカバブというものです。

実はケバブにはたくさん種類があり、よく日本で見かけるローストした大きな肉の塊をスライスしてパンに挟むものはドネルケバブと言います。

いろんな種類をいただきましたが、下味段階でしょうか?3日目以降はどのケバブにも食欲が湧きませんでした。(言うならば、日本料理で醤油と味噌の味を体が受け付けなくなってしまった感じです。)

日本で食べるケバブは日本人に食べやすい気がします。帰国してからトルコ料理店でケバブを食べると美味しいのですが、何口か食べ進めるとこの時の記憶が蘇り、箸が止まる不思議があります。

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 これはバルック・エクメーイというもので、焼いた鯖をパンに挟んだいわゆるサバサンドです。これはとても美味しかったです。帰国前日、食べ納めがしたくて再びこのサバサンドを食して帰ってきました。上の写真の派手な装飾が施された船でサバサンドは作られ、販売されます。場所の性質上凄く揺れる船上で作られているので、陸上で作れば良いのではとも思いました。

目の前の広場に机や椅子が並び、そこの出店で買ったピクルスを挟んで食べる人が多かったので、それがローカルな食べ方だったかもしれません。また、机にはレモン汁があり、それを豪快にかけて食べるとさっぱりしていて、鯖の塩気や油とマッチして、今思い出してもよだれが出る美味しさでした。

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これは大きな蒸したジャガイモに、自分で選んだトッピングを乗せて食べるクンピルという料理です。

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イスタンブール市内でも風光明媚なオルタキョイという場所がこのクンピルが有名な地域です。ボスポラス大橋の側で、ヨーロッパ側のボスポラス海峡を臨むこの場所は眺めも美しく、近くには王宮や、後に日本人サッカー選手の香川真司選手が所属したベジクタシュのスタジアムがあります。

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クンピルのお店が並ぶ

ちなみに、クンピルの味はトッピング次第なのですが、サワークリームをトッピングしたので、私のは歯磨き粉を食べているようでした。皆さんも機会があれば、自分の味を探し試して欲しい料理です。

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そして、トルコといえばアイスです。日本でもトルコアイスと言えば伸びるアイスでご存知かと思います。名をドンドゥルマと言い、観光地には出店が出ていて購入時に店員と客のやりとりが面白く、それだけで購入する楽しみが増えます。ただ、本当にすぐ食べたいと思ったらちょっとイライラされるかもしれませんが。

 

写真のデザートも、トルコアイスを販売するトルコの大手チェーン店"MADO"で食べた時のものです。MADOとは、このお店の本店のある地名のと、ドンドゥルマの頭文字を取ってMADOなんだそうです。

下の写真はトルコの伝統的なスイーツ、カザンディビにアイスが添えられたものです。数あるスイーツの中でも、お気に入りの一つです。

屋台のスイーツも良いですが、私はこのMADOで食べるスイーツをお勧めします。

 

また、カザンディビの隣に写るように、トルコではチャイ(紅茶)を飲むことが一般的で、至る所にチャイハネと呼ばれる喫茶店があります。トルコでは、コーヒーも飲まれます。少し変わったトルコオリジナルな飲み方がありますので、そちらも機会があれば試して欲しいと思います。

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ヨーロッパとアジアが交わる場所。そして中東地域との交流で栄えて来たのがこのイスタンブールという街です。

写真はかつてエジプトとの交易が行われていた名残から、エジプシャンバザールと呼ばれます。

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特に香辛料の取り扱いが多く、スパイスのお店が並びます。

それらの文化は料理にも反映され、多くの料理がスパイシーです。また、スパイスの取り扱いが多いからか、ちょっと入ったお店で飲むチャイにはシナモンのスティックが一本入っているなんて贅沢なことも経験しました。

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日本で販売される多くのドライイチジクはトルコ産です。また中央アジアはスイカの生産地で、このトルコでも街中にスイカを販売する移動車が来ていたり、ブドウで作った蒸留酒"ラク"という変わったお酒があるなど、果物が非常に豊富な国でもありました。

 

 食というのは旅をしているととても重要なパートを占めます。

私は食べることが好きなことも相まって特にそう感じています。

 

知人に旅が好きだけど、辛いものが一切ダメという友人がいて、外国での食事は全く期待していないと言っておりました。

 

それもまた、各人の旅の姿なんですね。

 

次回はトルコ編最後に街並みの写真を紹介しようと思います。

トルコ行進曲。その2

 共に旅をした友人は、前々回の投稿のフランスも共に旅をしており、また学生寮で同じ釜の飯を食べた気を使わない友人です。その後の本山修行まで時を同じく過ごし、彼とは長い付き合いになりました。おそらく私の人生で親友と呼ぶにふさわしい男です。

今でこそ私は異国を歩くことに若干の経験があり、心的余裕が出来たので、まぁこんなものだろうという予測をたてられるようになりました。ただ、当時から変わらず心配性なところがあり、また新しいことをするのに二の足を踏む性格でした。

 

 一方の彼は、特別語学が堪能なわけでもなく、経験豊かな訳でもないのに、まぁなんとかなるだろうと腹を括るのが早く、時にヒヤヒヤさせられながらも、その大胆さに何度も助けられました。

 

 

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夕暮れ時にトルコに到着した便の機内からの一枚。

 イスタンブールについたのは夕方で、空港からホテルへと直行しました。部屋に入ると長旅の疲れや若干の緊張から解放され、荷物を置くとすぐカーテンを開けました。

窓を開けると、イスタンブールの街並みが広がり、今まさに沈もうとする夕日に私の視線の先は一面真っ赤に染められておりました。近くのモスクから流れるアザーン(イスラム教の礼拝への呼びかけ)が響き、鳥の鳴き声が聞こえます。

 

視線を上げる。すると、そのアザーンに呼応するようにカモメがクルクルと回りながら飛んでいました。

 

なんとも言えない異国情緒を味わいノスタルジックな気分に浸りました。

 

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イスタンブールの街並み

 

 翌日よりイスタンブールという街をただフラフラ、ブラブラするだけの目標のない滞在が始まりました。

 見たかったアヤ=ソフィア大聖堂。

歴史で学んだまさにその舞台となった場所です。この日は半日だけ、現地のガイドを頼んでいて、詳しく案内してもらいました。

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アヤ=ソフィア内の様子



 オスマン帝国の侵攻によりアヤ=ソフィアはモスクへと姿を変えました。しかしながら、偶像崇拝が禁止されているイスラム教にあって、このモスクはメッカの方向を示す扉(ミフラーブ)を作り、大きな回収をせずにモスクとして利用されたため、キリスト教時代の成人や教父の像が残されております。(オスマン帝国滅亡後アヤ=ソフィアは博物館となっております)

 

イスラームはなんでもかんでも破壊するわけじゃありません。私たちはここに生きた先人たちの上に今生きていることに敬意を払います。」と、教えてくれたのは、その日半日市内を案内してくれたトルコ人男性でした。

 

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アヤ=ソフィア内に残る、キリスト教時代の名残

 なんだかいい話を聞いた気がして、穏やかな気持ちで施設を後にしました。

 

 外に出ると、彼はおもむろにタバコをふかし始めました。

「皆さんタバコ吸う?日本息苦しいね〜。歩きタバコダメなんでしょ?トルコは歩きタバコOKだし、吸い終わったらそこらへんに捨てちゃうよ〜」と言って、シケモクをポイって捨ててしまいました。アヤ=ソフィアとブルーモスクの間の通りでの出来事でした。

今はそのようなことが制限されているかもしれませんが。

人はギャップを感じると胸がときめくことがあるそうです。

この時は、いい話を聞いた後にそういう態度を見てしまい、その話と態度のギャップに驚かされるもときめくことはなく、おいおい大丈夫か?という気分にもなりました。が、一つ私も今後いい話をすることがあれば気をつけないとなと思ったものでした。

 

飛んでイスタンブール。恨まないのがルール。と、庄野真代さんも歌っておりますから。

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美しきアヤ=ソフィア外観。