トルコ行進曲。その2
共に旅をした友人は、前々回の投稿のフランスも共に旅をしており、また学生寮で同じ釜の飯を食べた気を使わない友人です。その後の本山修行まで時を同じく過ごし、彼とは長い付き合いになりました。おそらく私の人生で親友と呼ぶにふさわしい男です。
今でこそ私は異国を歩くことに若干の経験があり、心的余裕が出来たので、まぁこんなものだろうという予測をたてられるようになりました。ただ、当時から変わらず心配性なところがあり、また新しいことをするのに二の足を踏む性格でした。
一方の彼は、特別語学が堪能なわけでもなく、経験豊かな訳でもないのに、まぁなんとかなるだろうと腹を括るのが早く、時にヒヤヒヤさせられながらも、その大胆さに何度も助けられました。
イスタンブールについたのは夕方で、空港からホテルへと直行しました。部屋に入ると長旅の疲れや若干の緊張から解放され、荷物を置くとすぐカーテンを開けました。
窓を開けると、イスタンブールの街並みが広がり、今まさに沈もうとする夕日に私の視線の先は一面真っ赤に染められておりました。近くのモスクから流れるアザーン(イスラム教の礼拝への呼びかけ)が響き、鳥の鳴き声が聞こえます。
視線を上げる。すると、そのアザーンに呼応するようにカモメがクルクルと回りながら飛んでいました。
なんとも言えない異国情緒を味わいノスタルジックな気分に浸りました。
翌日よりイスタンブールという街をただフラフラ、ブラブラするだけの目標のない滞在が始まりました。
見たかったアヤ=ソフィア大聖堂。
歴史で学んだまさにその舞台となった場所です。この日は半日だけ、現地のガイドを頼んでいて、詳しく案内してもらいました。
オスマン帝国の侵攻によりアヤ=ソフィアはモスクへと姿を変えました。しかしながら、偶像崇拝が禁止されているイスラム教にあって、このモスクはメッカの方向を示す扉(ミフラーブ)を作り、大きな回収をせずにモスクとして利用されたため、キリスト教時代の成人や教父の像が残されております。(オスマン帝国滅亡後アヤ=ソフィアは博物館となっております)
「イスラームはなんでもかんでも破壊するわけじゃありません。私たちはここに生きた先人たちの上に今生きていることに敬意を払います。」と、教えてくれたのは、その日半日市内を案内してくれたトルコ人男性でした。
なんだかいい話を聞いた気がして、穏やかな気持ちで施設を後にしました。
外に出ると、彼はおもむろにタバコをふかし始めました。
「皆さんタバコ吸う?日本息苦しいね〜。歩きタバコダメなんでしょ?トルコは歩きタバコOKだし、吸い終わったらそこらへんに捨てちゃうよ〜」と言って、シケモクをポイって捨ててしまいました。アヤ=ソフィアとブルーモスクの間の通りでの出来事でした。
今はそのようなことが制限されているかもしれませんが。
人はギャップを感じると胸がときめくことがあるそうです。
この時は、いい話を聞いた後にそういう態度を見てしまい、その話と態度のギャップに驚かされるもときめくことはなく、おいおい大丈夫か?という気分にもなりました。が、一つ私も今後いい話をすることがあれば気をつけないとなと思ったものでした。
飛んでイスタンブール。恨まないのがルール。と、庄野真代さんも歌っておりますから。