なんのためにもならない話

タイトル通りです。

トルコ行進曲。その4

トルコとはいえずっとイスタンブールにしかいなかった私たちの滞在。当時は海外旅行に不慣れであったことも理由としてあります。ですがこの時から、観光に奔走したく無いという思いがあり、それは現在まで続く旅のスタイルとなりました。

 

今回は、いくつか気になった街の風景をここに残しておこうと思います。

 

f:id:tataradio:20200517225212j:plain

f:id:tataradio:20200517225254j:plain

f:id:tataradio:20200517225326j:plain

ブルーモスク(スルタンアフメト・モスク)の様子

 

f:id:tataradio:20200517225602j:plain

f:id:tataradio:20200517225529j:plain

イスタンブール市内にはたくさんのモスクがあり、そこにはやはり日本では見慣れない景色が広がっています。

 

モスクへ入る際には外の水場で足を洗ってから入ります。

f:id:tataradio:20200517225753j:plain

偶像崇拝が禁止されているイスラム教では、礼拝の対象となる像はなく、モスク内にはメッカの方向を示す扉やまた美しい幾何学模様で彩られておりました。キリスト教の教会とも全く異なりながらも、思わずわぁーっと驚いてしまうのは、その幾何学模様や、荘厳な作りをした施設、そして天井から吊るされた多くのライトなどの圧倒的な非日常と言える宗教的な場がそこにあることでした。

 

f:id:tataradio:20200517230331j:plain

また、イスタンブールはアジアとヨーロッパの交差点です。その金角湾の美しさも言葉になりません。写真は金角湾から臨むガラタ塔です。ガラタ塔周辺は比較的治安も悪いことから、歩く際にはお気をつけください。

 

f:id:tataradio:20200517230634j:plain

f:id:tataradio:20200517230708j:plain

金角湾にかかるガラタ橋。橋の下はレストラン街になっている。

f:id:tataradio:20200517231121j:plain

アジアとヨーロッパを繋ぐ橋

f:id:tataradio:20200517231344j:plain

ハイダルパシャ駅。アジア側にある。かつて、アジアからヨーロッパを目指した路線の終着駅。

f:id:tataradio:20200517231650j:plain

鉄道も走っているが、トルコを旅するならバスだと教わった。再訪するならバスで行きたい場所がいくつもあります。

 

f:id:tataradio:20200517231841j:plain

f:id:tataradio:20200517231919j:plain

トルコではサッカーが非常に熱狂的です。2002年日韓ワールドカップでトルコ代表に日本代表は敗れました。その後日本代表選手がこの国で活躍をするなど、日本ともサッカーの因縁深き国です。また、この頃、トルコを代表するサッカーチーム「フェネルバフチェ」をヨーロッパの主要大会で過去最高成績に導いたのが、かつて日本でも活躍し、日本代表チームを率いたジーコでありました。私は茨城県民で、かつ熱狂的鹿島アントラーズサポーターです。声をかけられたトルコ人とサッカーの話題で盛り上がることもあり、特にジーコの話題で盛り上がった時には互いに写真を取り合うなど交流のきっかけにもなっておりました。

 


f:id:tataradio:20200517230822j:plain

f:id:tataradio:20200517230849j:plain

f:id:tataradio:20200517230919j:plain

f:id:tataradio:20200517230959j:plain

f:id:tataradio:20200517231026j:plain

イスタンブールの街並み

f:id:tataradio:20200517232611j:plain

f:id:tataradio:20200517232644j:plain

金角湾の眺め

f:id:tataradio:20200517232729j:plain

ハンマームの入り口

トルコを含む中東諸国にはハンマームと呼ばれる伝統的な公衆浴場があります。腰巻きをしたまま入浴する、いわゆる蒸し風呂で、中には屈強な親父があかすりをしてくれます。

力強いアカスリと、オリーブの石鹸が心地よく、機会があれば是非もう一度試してみたいと思うものです。この時入ったお店は観光客向けであり、あかすりを担当してくれた屈強な親父さんはウズベキスタン出身の方でした。

日本にいて当時ウズベク出身の方と会ったことがありませんでしたので、陸続き、言語が近い人たちの移動はやはり日本のそれとは全く違うのだなと感動しました。

 

ここで一つ触れておかなくてはならないのは、"トルコ風呂"の存在です。このハンマームはあかすり師が浴場内であかすりをしてくれるわけですが、イスラム教の国において男女がとりわけこうした場所で出会うことは絶対にありません。むしろ、厳格に区別されております。

この浴場内でのあかすり師の存在と、宮廷に置かれたハレムの存在が混同して日本に伝わり、日本では一時期トルコ風呂の名を冠して性風俗店が営まれました。

こうしたことにトルコ側から反発があり、名称を改めたという歴史があります。

 

私は旅をするまで知りませんでしたが、帰国してこのハンマームの体験を語ると、上の世代の方達にそのことを教えていただいたので、ここでも誤解の無いよう記しておきました。

 

f:id:tataradio:20200517234059j:plain

そんなこんなで、続いて来ました"トルコ行進曲"はひとまず終了となります。

またいつかゆっくり旅をしたいと思いながら、震災やISISの問題などでここまでその思いは叶わずにおります。今こうしてCOVID-19の問題もありますが、再訪できる日が来ることを今は切に願っております。

 

f:id:tataradio:20200517234024j:plain